アトリエの日々
不在への手紙
もう5月だけど、3月のはなし
3月2日
私は42歳になった。
もう十分に生きたと思う。
何事においても未熟な私がこんなことを言えば
叱られるだろうとわかっている。
でも、本当のこと。
十分に疲れているし、十分にしあわせだ。
命が終わるまで生きるということは
なんとたいへんなことか。
弱音ばかり吐きながら
私は生きる、命の限り
今を生きる命と、かつて生きた命
そのすべてに恥ずかしくないように
これも、本当のこと。
3月2日は、カトリの誕生日でもあった。
野良猫のカトリに私があげた誕生日。
カトリがいた一年前と、いない今が透けながら重なる。
喪失の重量に感覚という感覚をからめとられる
一瞬のうちに
この日一日中を、私は泣いて過ごした。
そんなことは、何の足しにもならず
そんなことは、きっとカトリは望まないと
そんなことは、重々承知で
それでも私は許せない
カトリを喪った自分を
まだ
3月19日
大好きな友達が46歳になった。
それは、この世で彼女が数える最後の歳だった。
彼女の手を、ただ何も言わずに握ることしかできない私を
大きな猫がじっと見ていた。
その目を見つめ返すだけで、どれだけ彼女を愛しているかがわかった。
さくらがさいたら おはなみしよう
あたたかくなったら はだしでうみへ
あなたが待ちわびた
4月の桜 5月の海
そのどちらにも
あなたがいない
思い返せば、私の中で
一年前の桜にも海にも
あなたはいなかった
わたしたちの時間の重なりは
在りし日々のほんの一瞬
出会う前の不在
と
再会までの不在
に
どんな違いがあるだろう
一瞬と永遠に
どんな違いがあるだろう
「私は悲しくない。だからあなたも悲しまないで」
そう言ったのは
あなただったか
カトリだったか
カトリがいて
あなたがいた
一年前の今日
あなたとつぼみが出会った。
ありがとう。
あなたが手を差し伸べた
小さな命が
今日も元気に生きている。
今日も一緒に生きている。
ありがとう。
そう言いながら泣く私を
どうか、許して下さい。
いまは
まだ
2017年5月8日(月)