アトリエの日々
美の基準と父への手紙
6月、西国分寺からクルミド出版をお迎えして、真鶴まちあるきをしました。
共に歩いた景色をそれぞれの胸に、しめくくりの語らいの場で
真鶴町の条例「美の基準」について意見を求められた私は、少し戸惑いました。
「私は、美の基準について、専門的な知識は何もありません。もしかしたら、皆さんより知らないことが多いかもしれない。
ただ、乱開発の動きの最中、まだ、「美の基準」の構想が父の頭の中にしかなかったその時から、
私は父を見てきました。選挙権も持たない、ほんの子供だった私に対しても、父は仕事の話を熱心にしました。
私は、父の娘であるということからは、決して逃れられない。だから、「父」の話をさせて下さい。」
コミュニティ真鶴にて。みなで「美の基準」について語り合った時の様子。写真中央で話をしているのが
条例制定当時の町長だった三木邦之。私の父です。
「美の基準」については、以前に「覚え書き」として文章を残しています。
あわせて読んでいただければ嬉しいです。
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私の大好きな小説家フラナリー・オコナーは
「自分にとって一番大事なこと、そして、それが、他の誰にとっても
一番大事だと思えることを書かなければダメだ。」
と言いました。
そして実際に、そのように仕事をした人でした。
私がフラナリーのこの言葉を読んだ時、すでに30歳を過ぎていましたが、
自分にとって、それが何なのかわからず、とても恥ずかしく思いました。
父は、そのような仕事をしたのだと、
そのときにわかりました。
私は父に手紙を書きました。
「今の私は、自分がまだ、お父さんのような仕事をひとつもしていないと
はっきりとわかるくらいまで、やっと成長したところです。」
Bonamiにはたくさんの本があります。
本屋さんほど、たくさん、ではないけれど
大切な本ばかりを集めた自慢の本棚です。
私たちはそれぞれの本の作り手を尊敬し、その思いを尊重します。
その中に、いつも「美の基準」があります。
「美の基準」は人間の行った誠実な仕事の、ひとつのかたちです。
自分として、自分だからこそ、やるべき仕事。
私が何かを成し遂げられるかどうかは、問題ではないけれど、
私は常に、その答えに向かい続けます。
美の基準と父の仕事を、何度でも思い返します。
これからも、このアトリエで。
* * *
2014年、「美の基準」の施行からちょうど20年の今年
8月9日から8月31日まで
「美の基準」をコンセプトにした「真鶴まちなーれ」が開催させています。
コミュニティ真鶴を拠点に、町の各所でアートに触れるイベント。
16日からの31日までの、毎週土日(11:00 〜 17:00)のオープンデーでは
まちなーれの一環として、Bonamiのアトリエでも
「美の基準」をテーマにしたワークショップ『活版で刷る美の基準』を行うことになりました。
詳しくは、追ってお知らせいたします。
真鶴まちなーれの公式サイトでも紹介されていますので、ぜひご覧下さい。